慢性疼痛はなぜ続くのか
痛みは本来、身体を守るための生理的な警告信号です。
しかし多くの慢性疼痛では、組織が回復しても痛みが続くという現象がみられます。
組織が損傷すると侵害受容器が刺激され、その情報が末梢神経を通って脳へ伝わります。
通常、このような痛みは組織が回復するとともに減少します。しかし痛みが数か月、あるいは数年にわたり続くことがあります。
このような状態を 慢性疼痛(chronic pain) と呼びます。
慢性疼痛の特徴の一つは、必ずしも組織損傷と一致しないことです。画像検査では明確な異常が見つからないにもかかわらず、痛みが続くケースは少なくありません。
近年の神経科学とペインサイエンスの研究は、慢性疼痛が単純な構造問題ではなく、神経系の変化によって生じる可能性を示しています。
国際疼痛学会(IASP)の痛みの定義
痛みの定義は、国際疼痛学会(IASP) によって整理されています。
IASPは痛みを次のように定義しています。
「実際の、または潜在的な組織損傷に関連する、あるいはそれに類似した不快な感覚および情動体験」
この定義の重要な点は、痛みが単なる組織損傷の信号ではなく、感覚と情動を含む主観的な経験であるという点です。
つまり、組織損傷が存在しなくても痛みが生じる可能性があります。
慢性疼痛の定義
慢性疼痛は一般的に「3か月以上続く痛み」と定義されます。
しかし実際には時間の長さだけで説明できるものではありません。
慢性疼痛では次のような特徴がみられることがあります。
・痛みの部位が変化する
・検査で原因が特定できない
・軽い刺激でも痛みを感じる
・痛みが長期間持続する
これらの現象は、神経系の感受性の変化によって説明されることがあります。
特異的疼痛と非特異的疼痛
臨床では痛みを
特異的疼痛(specific pain)
非特異的疼痛(non-specific pain)
に分類することがあります。
特異的疼痛とは
・骨折
・感染
・腫瘍
・神経損傷
など、明確な病理学的原因が確認できる痛みです。
一方、多くの慢性疼痛では、明確な組織損傷が確認できない 非特異的疼痛 に分類されます。
例えば腰痛では、多くの症例が
非特異的腰痛(non-specific low back pain)
とされています。
慢性疼痛の主な原因
慢性疼痛は単一の原因で起こるわけではありません。
研究では複数の要因が相互に影響する可能性が指摘されています。
主な要因には
・末梢神経の状態変化
・過去の痛み経験による学習
・心理社会的ストレス
・睡眠不足
・生活習慣
などがあります。
急性痛から慢性痛への移行|痛みの慢性化メカニズム
慢性疼痛は単に痛みが長く続いている状態ではなく、急性の侵害受容状態から慢性疼痛へ移行する過程が存在すると考えられています。
近年の研究では、この移行過程を 痛みの慢性化(pain chronification) と呼び、複数の生理学的メカニズムが関与する可能性が示されています。
次の研究では、慢性疼痛の特徴について次のように説明されています。
「慢性疼痛とは、明らかな急性外傷や刺激がないにもかかわらず、患者が痛みを感じ続ける、持続的な疼痛体験を指す。」
「慢性疼痛は、中枢性感作、末梢性感作、神経可塑性と関連することが多い。」
「急性侵害受容状態から、慢性疼痛症候群への進行には、持続的な炎症反応、神経系の構造的-機能的変化、神経可塑性の変化、そして心理的-社会的要因の長期的な影響など、複数の重要なメカニズムが関与している。」
Decoding pain chronification: mechanisms of the acute-to-chronic transition (2025)
この研究は、慢性疼痛が単一の原因ではなく、神経系の変化や炎症反応、心理社会的要因などが相互に関与する複雑な現象であることを示しています。
つまり慢性疼痛は、単に組織損傷が長く続いている状態ではなく、神経系の情報処理や神経可塑性の変化によって維持される可能性があります。
むち打ち研究が示す慢性疼痛の社会的要因
慢性疼痛の発生には、生物学的要因だけでなく社会的・文化的要因が影響する可能性も指摘されています。
リトアニアで行われた追突事故被害者を対象とした研究では、むち打ち症状の経過が調査されています。
この研究では、210人の事故被害者を対象に症状の経過を追跡しました。
「事故被害者の47%が初期疼痛を報告し、10%が頚部痛のみ、18%が頭痛を伴う頚部痛、19%が頭痛のみだった。」
「最初の頚部痛の期間中央値は3日、最大期間は17日だった。頭痛の期間中央値は4.5時間、最大期間は20日だった。」
さらに1年後の追跡調査では次の結果が報告されています。
「1年後、これらの症状の頻度と強さに関して、事故被害者と対照群との間に有意な差は見られなかった。」
研究者はその理由について、次のように説明しています。
「この国では、追突事故から生じる慢性疼痛という先入観がないため、長期障害の心配もなく、治療界、保険会社、訴訟も通常関与していない。」
そして研究の結論として次のように述べています。
「急性むち打ち損傷後の症状は、自己限定的で短期間であり、いわゆる後期むち打ち症候群に発展することはないようである。」
Pain after whiplash: a prospective controlled inception cohort study
この研究は、慢性疼痛の発生が単純な組織損傷だけで説明できるものではなく、社会的文脈や期待などの要因が関与する可能性を示しています。
慢性疼痛の神経科学メカニズム
慢性疼痛の発生には、複数の神経学的メカニズムが関与する可能性があります。
代表的なものには
・末梢性感作
・中枢性感作
・痛み抑制系の変化
・神経可塑性
・情動や注意による修飾
などがあります。
炎症や組織損傷が起こると、侵害受容器の閾値が低下し、弱い刺激でも痛みを感じやすくなります。これは 末梢性感作 と呼ばれます。
さらに脊髄や脳では神経回路の反応性が変化し、痛みが増幅される状態が生じることがあります。これが 中枢性感作 です。
慢性疼痛と末梢神経
痛みの情報は侵害受容器から始まり、末梢神経を通って脊髄へ伝わります。
末梢神経の状態変化や機械刺激により神経の感受性が変化すると、痛みの経験が変化することがあります。
末梢神経の臨床的理解については以下の記事でも解説しています。
慢性疼痛と脳
近年の神経科学研究では、慢性疼痛と脳の構造・機能の関係が多く研究されています。
慢性疼痛では次のような脳領域が関与する可能性があります。
・前頭前野
・帯状回
・島皮質
・扁桃体
これらの領域は、痛みの知覚だけでなく
・情動
・注意
・意思決定
などにも関与しています。
前頭前野の変化
慢性疼痛患者を対象としたMRI研究では
前頭前野の灰白質体積の減少
が報告されています。
ただし、この変化は不可逆的な脳損傷ではなく、痛みの改善とともに回復する可能性が示されています。
これは神経可塑性の一例として理解されています。
慢性疼痛の主な症状
慢性疼痛では次のような症状がみられることがあります。
・持続的な痛み
・痛みの範囲の拡大
・アロディニア
・疲労感
・睡眠障害
・集中力低下
慢性疼痛の診断
慢性疼痛の診断ではまず
・感染
・骨折
・腫瘍
・神経障害
など重大疾患(レッドフラッグ)を除外します。
しかし多くの慢性疼痛では明確な原因が特定できません。
この場合
・末梢神経入力
・中枢神経処理
・心理社会的要因
などが関与する可能性があります。
慢性疼痛の治療と管理
慢性疼痛の管理には複数のアプローチが用いられます。
代表的な方法
・運動療法
・薬物療法
・心理学的アプローチ
・生活習慣改善
・徒手療法
一般的な徒手療法では、皮膚・筋肉・関節などへの刺激を通して神経系入力を変化させることが試みられています。
慢性疼痛はなぜ治りにくいのか
慢性疼痛では、神経系が痛みを「学習」している可能性があります。
例えば
・神経の感受性の変化
・脳の情報処理
・情動
など複数の要因が相互に影響します。
そのため慢性疼痛は単一の原因では説明できないことが多く、複数の視点から理解する必要があります。
慢性疼痛と生活習慣
慢性疼痛には生活習慣も影響する可能性があります。
研究では
・睡眠不足
・運動不足
・ストレス
などが痛みに関連する可能性が指摘されています。
結論|慢性疼痛を理解するために重要な視点
慢性疼痛は、単純な組織損傷の問題だけでは説明できません。
近年の神経科学とペインサイエンスの研究は、痛みが 末梢神経からの入力と中枢神経の情報処理が統合された結果として生じる現象 であることを示しています。
慢性疼痛では
-
末梢神経の状態変化
-
脊髄や脳における神経回路の反応性の変化
-
痛み抑制系の変化
-
過去の経験や情動、注意
-
睡眠やストレスなどの生活習慣
といった複数の要因が相互に影響します。
そのため、慢性疼痛を 単一の構造異常や組織損傷だけで説明することには限界があります。
慢性疼痛を理解するためには
-
末梢神経からの入力
-
中枢神経の情報処理
-
心理社会的要因
-
生活習慣
といった 多層的な視点 が重要になります。
慢性疼痛は「原因不明の痛み」ではなく、神経系の情報処理が変化した結果として生じる現象 として理解することで、より適切な評価と管理が可能になります。
DNMJAPAN 理論3つの軸
DNMJAPANでは、痛みの理論、末梢神経の構造と機能、そして理論をどのように扱うかという臨床家の姿勢を、神経科学の枠組みから統合的に再構築しています。

