はじめに|慢性疼痛と脳研究
慢性疼痛は、単なる組織損傷の問題では説明できないことが多くあります。
画像検査では大きな異常が見つからないにもかかわらず、痛みが長期間続くケースは臨床でもよく経験されます。
近年の神経科学研究では、慢性疼痛と脳構造の変化との関係が数多く報告されています。
特に注目されているのが 脳の灰白質(gray matter) の変化です。
灰白質とは、中枢神経系において神経細胞体が集まっている領域を指します。
慢性疼痛では、この灰白質の体積変化が報告されています。
慢性痛と脳の灰白質の減少
慢性腰痛患者26名/脳のMRI研究:
「慢性腰痛患者は、対照群と比較して、大脳新皮質の灰白質の体積が5~11%減少していた。この減少量は、通常の加齢における10~20年で失われる灰白質体積に相当する。」
「体積の減少は痛みの持続期間と関連しており、慢性痛の1年ごとに灰白質が1.3㎤減少していることが示唆された。」
「人工関節手術から回復して痛みが消えた際には、ほぼ同じ領域で灰白質の増加が認められた。」
「背外側前頭前野は認知機能に重要であり、おそらく痛みから注意を逸らすことによる痛みの認知的調節に重要である。」
「慢性痛患者に見られる認知機能障害は、少なくとも部分的には背外側前頭前野の体積減少に関連している可能性がある。」
Chronic Back Pain Is Associated with Decreased Prefrontal and Thalamic Gray Matter Density / 2004
この研究は、慢性疼痛と脳構造変化の関連を示した代表的なMRI研究です。
特に前頭前野の灰白質減少は、注意制御や痛み調節機能の変化と関係している可能性が指摘されています。
また痛みの改善とともに灰白質が回復する可能性が示されており、慢性疼痛における脳変化は不可逆的な損傷ではなく、神経可塑性による変化である可能性が示唆されています。
神経可塑性と慢性疼痛
慢性疼痛では、脳構造の変化は神経可塑性と関連している可能性があります。
神経可塑性とは、神経回路が経験や刺激によって変化する性質を指します。
慢性疼痛では長期間にわたる侵害受容入力が続くことで、神経回路の活動パターンが変化する可能性があります。
「神経可塑性による脳の変化は、数年間にわたる持続的な侵害受容入力の結果として進んだ可能性があり、完全に元に戻るにはさらに時間が必要である。」
Structural Brain Changes in Chronic Pain Reflect Probably Neither Damage Nor Atrophy / 2013
慢性疼痛に伴う脳構造変化は、神経細胞の死による萎縮ではなく、神経回路の再構築による可塑的変化である可能性が指摘されています。
つまり慢性疼痛では、長期間の侵害受容入力や神経活動の変化が脳構造の再編成を引き起こす可能性があります。
内側前頭前野と慢性疼痛
内側前頭前野と慢性疼痛:
「内側前頭前野は、脳における感情処理を考える上で特に注目されている。」
「内側前頭前野の機能不全は、下行性疼痛抑制信号を減少させる一方で、上行性の侵害受容入力が相対的に増加する。」
「その結果、持続的な痛みが増加し、上行性の疼痛信号へ適応的に反応する能力が制限されると考えられている。」
「内側前頭前野の灰白質体積の減少は、慢性疼痛患者だけでなく、大うつ病性障害や不安障害患者にも認められている。」
「さらに、累積的または最近のストレスフルな生活上の出来事が、内側前頭前野の灰白質体積の減少と関連している。」
「考えられるメカニズム:HPA軸の機能不全による樹状突起形態の変化、神経伝達物質の調節不全(特にグルタミン酸とγ-アミノ酪酸:GABA)」→樹状突起の退縮や血流量の変化が関与する可能性。
※現在のエビデンスでは、神経変性による不可逆的な脳萎縮を示す証拠は支持されていない。
「慢性疼痛患者にみられるコルチゾール値の変化などのストレス関連因子は、樹状突起の再構築(例:樹状突起の発育)に影響を与える可能性がある。」
「慢性疼痛における神経性炎症に関連する免疫メディエーター(サイトカインなど)の放出も、樹状突起棘の形態を変化させる可能性が示唆されている。」
「脳の主要な興奮性神経伝達物質であるグルタミン酸と、抑制性神経伝達物質であるGABAの調節不全は、慢性疼痛患者の脳の様々な領域で観察されている。」
「慢性疼痛の人には、高コルチゾール血症(グルココルチコイド過剰)だけでなく、低コルチゾール血症(グルココルチコイド不足)の証拠も見られる。これはHPA軸の機能不全が慢性疼痛病理の主要な要素である可能性を示唆している。」
What does the gray matter decrease in the medial prefrontal cortex reflect in people with chronic pain? / 2019
内側前頭前野は感情処理や痛みの認知調節に関与する脳領域として知られています。
慢性疼痛ではこの領域の構造変化が報告されており、ストレス反応、神経伝達物質のバランス、HPA軸の変化などが関与する可能性が示唆されています。
慢性疼痛は単なる感覚入力の問題ではなく、情動・ストレス・神経回路が相互に影響する複雑な現象として理解されています。
徒手療法と侵害受容入力
慢性疼痛研究では、持続的な侵害受容入力が脳構造の変化と関連する可能性が指摘されています。
もし侵害刺激の持続が脳の灰白質体積減少と関連するのであれば、臨床で用いられる身体介入についても慎重に考える必要があります。
例えば
・強い圧迫刺激
・強いマッサージ
・痛みを伴う徒手療法
などは侵害受容入力を生じる可能性があります。
そのため、もし侵害刺激が持続することで神経回路の変化や脳構造の変化が起こるのであれば、強い刺激による徒手療法は神経系にとって必ずしも有利とは言えない可能性があります。
逆に、痛みを伴わない穏やかな身体介入は、侵害受容入力を増加させることなく神経系の状態を変化させる可能性があります。
このような視点は、近年のペインサイエンスや神経科学の考え方とも一致しています。
結論
慢性疼痛では
・脳の灰白質体積の変化
・神経可塑性
・前頭前野の機能変化
・ストレス反応
・神経回路の再構成
など複数の神経科学的要因が関与している可能性があります。
近年の研究は、慢性疼痛が単純な組織損傷の問題ではなく、末梢神経入力と脳の情報処理が統合された結果として生じる現象である可能性を示しています。
慢性疼痛を理解するためには、身体構造だけでなく神経系と脳機能の変化を含めた視点が重要になります。
慢性疼痛は「構造の問題」ではなく、神経系の情報処理の変化として理解されつつあります。
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