解剖学ではなく生理学を治療するとは
徒手療法の臨床では、身体の構造を整えるという説明が広く用いられてきました。
例えば、骨格の歪みを整える、関節の位置を調整する、筋肉のバランスを整えるといった説明です。
こうした説明は、身体の形や位置関係が変わることで症状が改善するという前提に立っています。
しかし近年は、徒手療法の効果を構造変化だけで説明することの限界が指摘され、神経生理学的な変化に注目が集まっています。
つまり問われているのは、身体のどこが動いたのかではなく、身体にどのような変化が起きたのかという視点です。
徒手療法を理解するには、解剖学と生理学を分けて考える視点が欠かせません。
解剖学と生理学
生理学 / Physiology … 生物の諸器官の働きや機能。
解剖学は、身体にどのような構造が存在しているかを扱う学問です。
一方で生理学は、身体がどのように働き、どのような状態変化を示すのかを扱う学問です。
この違いは、徒手療法を何に対する介入として理解するのかという、臨床推論の土台に直結します。
名詞と動詞という身体理解|構造と機能の違い
身体を理解する視点の一つとして、「名詞」と「動詞」という整理があります。
名詞は、骨、筋肉、椎間板、関節のように、形として存在する構造を示します。
これは解剖学の視点です。
一方、動詞は、動く、伸びる、収縮する、感じる、抑制される、興奮するといった、身体の働きや状態変化を示します。
これは生理学の視点です。
臨床では、身体を名詞だけで理解しても十分ではありません。
なぜなら、症状として現れているのは、構造そのものよりも、過敏性、筋緊張、運動出力、感覚処理、自律神経反応といった機能の変化であることが多いからです。
徒手療法を理解する際にも、身体を固定した構造物「名詞」としてみるだけでなく、変化し続ける機能「動詞」としてみる視点が重要になります。
痛みを構造だけで説明できるのか|ペインサイエンスの視点
痛みを構造の問題として理解する場合、骨、椎間板、筋肉、関節などの解剖学的構造に焦点が当てられます。
つまり、それらの構造に異常があるから痛みが出る、という説明です。
しかし研究では、構造変化と痛みが必ずしも一致しないことが繰り返し報告されています。
近年のペインサイエンスでは、痛みは単純な構造問題ではなく、末梢神経の状態と入力、侵害受容信号の伝達、中枢神経での情報処理、注意、予測、文脈などを含む生理学的過程として理解されます。
そのため痛みを理解するには、骨や筋肉だけでなく、神経系を含めた機能の視点から身体を捉えることが重要です。
徒手療法の視点
この考え方は、神経科学をベースにした徒手療法でも明確に示されています。
この言葉が示しているのは、徒手療法を構造修正の技術としてみるのではなく、身体の反応性や処理の変化として理解する必要があるということです。
徒手療法は、骨、関節、筋肉などの形そのものを直接変えるというよりも、末梢神経と中枢神経の生理学的状態に影響している可能性が高いと考えられます。
名詞ではなく動詞を変える
同様の視点は、次の言葉にも表れています。
By Diane Jacobs
この言葉は、徒手療法で何を変えようとしているのかを明確にします。
変えようとしているのは、骨や関節という名詞ではありません。
過敏性、緊張、警戒、回避、可動性、運動出力、感覚処理といった、身体の状態や機能です。
この整理によって、徒手療法は構造を正す行為ではなく、神経系を含む生理学的状態に働きかける介入として理解しやすくなります。
そしてこの視点は、そのままDNMの理解にもつながります。
徒手療法と神経生理学
近年、徒手療法の研究では神経生理学的影響について多くの議論が行われています。
「これらの提案された神経生理学的効果は、末梢神経系と中枢神経系における特異的と非特異的効果の両方が組み合わさったものである可能性が、非常に高い。」「より妥当な、神経生理学的モデルの基礎を提示し、それに応じて、臨床的推論を調整する必要がある。」
The traditional mechanistic paradigm in the teaching and practice of manual therapy : Time for a reality check.
この論文が重要なのは、徒手療法を単純な機械論で説明する従来モデルに再検討が必要であると述べている点です。
つまり、臨床でみられる変化を、関節の位置変化や組織の形態変化だけで説明するのではなく、末梢神経系と中枢神経系の神経生理学的変化として理解したほうが妥当だということです。
徒手療法の理論を更新するのであれば、技術だけでなく、臨床推論そのものも神経生理学モデルに合わせて見直す必要があります。
DNMの視点
DNMでは、徒手療法を末梢神経の状態変化という視点から理解します。
身体に触れることで起こる変化を、骨格、関節、筋などの構造変化として読むのではなく、末梢神経の状態と入力の変化として捉えることが重要です。
この視点は、痛みや可動域、筋緊張、自律神経反応といった臨床所見を、より神経科学的に説明するための基盤になります。
さらにDNMでは、こうした神経生理学的理解を、単なる理論ではなく、身体に対して慎重で敬意のある関わり方として表現します。
その中心にあるのが Kindness です。
Kindness とは、強い刺激で反応を引き出すことではなく、神経系が過剰な脅威として受け取りにくい入力を通して、変化を丁寧にみていく姿勢です。
これは優しさを強調するための言葉ではなく、神経生理学モデルに整合した臨床態度だといえます。
結論
徒手療法の臨床では、長い間、構造中心の説明が用いられてきました。
しかし近年の研究や理論整理では、徒手療法の効果は神経生理学的変化として理解したほうが妥当であることが示されています。
つまり、名詞である構造を変える治療としてではなく、動詞である状態や機能を変える治療として捉える視点です。
そしてその視点を臨床で具体化したとき、徒手療法は強く変える技術ではなく、神経系の反応を丁寧にみながら関わる実践へと変わります。
だからこそ、解剖学ではなく生理学を治療するという発想は、最終的に Kindness という臨床態度へとつながります。
徒手療法を理解するには、解剖学だけでなく、生理学の視点から身体を読むことが重要になります。
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