予測符号化と痛み|脳は何をもとに痛みをつくるのか
痛みは、身体で起きた出来事をそのまま受け取る現象ではありません。
組織損傷があっても痛みを感じないことがありますし、明確な損傷が確認しにくくても強い痛みが続くこともあります。
この事実は、痛みが単なる末梢の出来事ではなく、脳による情報処理の結果として生成される知覚であることを示しています。
近年、この仕組みを理解する枠組みとして注目されているのが予測符号化です。
なお、予測脳(predictive brain)は「脳は受け身で入力を待つのではなく、つねに未来を予測しながら働いている」という広い考え方です。
それに対して予測符号化(predictive coding)は、その予測が脳内でどのように処理され、知覚がどのように成立するのかを説明する、より具体的な理論です。
符号化とは何か|predictive coding の coding をどう理解するか
ここでいう符号化とは、英語で coding と表記される言葉です。
一般には「情報を一定の形式で表すこと」や「情報を変換して表現すること」を意味しますが、神経科学では、外界や身体の状態を神経系がどのような活動パターンとして表現しているか、という意味で使われます。
つまり予測符号化(predictive coding)とは、「脳が予測を用いて感覚入力を表現し、予測と実際の入力との差を処理する仕組み」と理解するとわかりやすくなります。
この文脈での coding は、プログラミングのコードを書くという意味ではなく、神経系が情報をどう表現し、どう更新するかという意味です。
予測符号化理論の基本
予測符号化では、脳は感覚情報を受動的に受け取るのではなく、先に身体や外界の状態を予測していると考えます。
そして、その予測と実際の感覚入力の差を予測誤差として処理し、その誤差をもとに知覚を更新していきます。
つまり知覚とは、入力だけで決まるものではなく、予測と予測誤差の調整のなかで成立する現象です。
アクティブインファレンスとの違い
予測符号化が主に知覚の成り立ちを説明する枠組みであるのに対し、アクティブインファレンスは、その予測誤差を減らすために行動や身体反応まで含めて調整する考え方です。
つまり予測符号化は「どう知覚が作られるか」をみる視点であり、アクティブインファレンスは「その予測に合うように身体や行動がどう変わるか」まで含めた枠組みだと整理できます。
この違いを押さえると、痛みの知覚と防御反応、回避行動、姿勢変化などを一連の神経系の反応として理解しやすくなります。
痛みは感覚入力だけでは決まらない
この視点では、痛みも脳が生成する知覚の一つとして捉えられます。
脳は、末梢神経の状態と入力、過去の経験、そしてどこに注意が向いているかを統合しながら、身体の状態を推定しています。
そのため、同じような入力であっても、予測の内容が異なれば、痛みの強さや意味づけは変化する可能性があります。
慢性疼痛を予測符号化からみる
慢性疼痛では、脳が痛みや危険を予測しやすい状態に傾いている可能性があります。
過去の痛み経験、恐怖学習、不安、失敗体験の蓄積によって、神経系が小さな感覚変化を過大に重要視しやすくなると、弱い入力でも痛みが生じやすくなります。
この枠組みは、慢性疼痛が組織損傷の程度だけでは説明しきれない理由を理解する助けになります。
プラセボ効果は予測の変化として理解できる
プラセボ効果は、「この治療は良くなりそうだ」という期待によって脳の予測が変化し、その結果として痛みの知覚や身体反応が変わる現象として理解できます。
ここで重要なのは、反応が「気のせい」という意味ではなく、期待や文脈が神経系の処理に実際の影響を与える可能性があるという点です。
予測符号化は、こうした期待依存的な変化を説明するうえでも有用な理論です。
ノセボ効果は悪い予測が症状に影響する現象である
一方でノセボ効果は、「悪化するかもしれない」「危険かもしれない」という予測が強まることで、痛みや不快な身体反応が増幅される現象として理解できます。
症状の説明、医療者の言葉、過去のつらい経験、不安の強い文脈などは、この予測に影響を与える要因になります。
臨床では、何を行うかだけでなく、どのように伝え、どのような意味づけが生じるかも無視できません。
注意は予測を強める
予測符号化では、すべての入力が同じ重みで処理されるわけではありません。
脳はどの情報を重要とみなすかを選択し、重要だと判断した情報を優先的に処理します。
慢性疼痛では、痛みに関連する身体感覚や違和感へ注意が向きやすくなり、それが予測を補強して症状の持続に関与する可能性があります。
徒手療法を予測符号化からどうみるか
徒手療法や運動療法では、局所に触れること自体よりも、その入力が神経系全体のなかでどう解釈されるかが重要です。
皮膚や末梢神経の状態と入力の変化に加えて、施術環境、説明、患者様の期待、安心感や不安感といった文脈要因も同時に作用し、知覚や反応の更新に関わります。
そのため介入の作用を理解する際には、局所刺激の強さだけでなく、神経系全体の予測がどう変化するかという視点が必要です。
予測は臨床判断の偏りにも関係する
予測符号化の視点では、脳は既存の予測に合う情報を優先して処理しやすいと考えられます。
この性質は知覚だけでなく、臨床家の解釈や判断にも影響しうるため、痛みの説明や介入効果の理解では認知バイアスへの注意も重要です。
つまり予測符号化は、患者様の症状理解だけでなく、施術者側の臨床推論を見直す枠組みにもなります。
結論
予測符号化理論では、知覚は脳の予測と感覚入力の相互作用によって形成されると考えられています。
痛みもまた、末梢刺激だけで決まるのではなく、過去の経験、学習、期待、文脈を含む神経系全体の情報処理の結果として変化します。
そのため痛みを理解する際には、組織損傷の有無だけでなく、脳が何を予測し、どのように予測誤差を処理しているのかという視点を持つことが重要です。
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