複数の評価が揃っても診断は強くならない
整形外科や徒手療法の臨床では、病態を見分ける検査、画像所見、触診、動作分析を組み合わせて、診断の確からしさを高めようとする考え方が広くみられます。
一つひとつの評価は弱くても、複数あれば診断は強くなるように感じられるからです。
しかし、この考え方が成り立つのは、いくつかの条件が満たされている場合に限られます。
実際には、妥当性が高まったのではなく、診断への自信だけが強くなっていることがあります。
この問題は、診断学だけでなく、科学哲学や測定論の視点からみても重要です。
ベイズ推論では、検査は数ではなく情報量でみる
ベイズ推論とは、最初の見立てを固定せず、新しい情報が入るたびに、その考えを少しずつ修正していく考え方です。
臨床でいえば、ある病態がもともとどれくらい起こりやすいかを踏まえたうえで、検査や評価の結果に応じて見立てを更新していく方法です。
診断学では、複数の検査を組み合わせて推定の精度を高めようとする考え方自体は間違いではありません。
ただし、そのためには、それぞれの検査が独立した追加情報を持ち、同じ病態について意味のある情報を与えている必要があります。
この前提が崩れると、検査を増やしても診断の確からしさは高まりません。
むしろ、似た現象をみている反応や評価結果を別々の証拠として数えてしまい、病態の確率を実際より高く見積もってしまうことがあります。
触診、疼痛誘発テスト、動作分析は、名前は違っていても、実際には同じ疼痛反応、警戒状態、回避パターン、あるいは学習された運動パターンを、別の角度からみているだけの場合があります。
重複した評価の積み上げが診断を歪める
この問題は、独立していない評価結果を、別々の証拠として扱ってしまうことだと理解できます。
独立していない検査結果を、独立した証拠のように足し合わせると、事後確率は実際より大きく見積もられます。
たとえば、腰椎MRIで軽度の変性を確認し、同部位に圧痛があり、前屈で痛みが増えたとします。
これだけで「やはり椎間関節か椎間板ヘルニアだ」と感じやすくなりますが、その圧痛や動作時痛が、画像所見そのものを裏づけているとは限りません。
画像、圧痛、動作時痛は、同じ局所組織を特異的に捉えているのではなく、広い意味での痛みの出力を別の形でみている可能性があります。
つまり、情報が増えているように見えても、実際には同じ現象を重ねて数えているだけのことがあります。
見かけ上の一致は、真の収束とは限らない
測定論では、異なる方法で同じ対象や同じ構成概念を確かめ、それぞれの結果が同じ方向を向くとき、その概念はより強く支持されると考えます。
構成概念とは、目で見たり直接触れたりしてそのまま確かめられるものではなく、理論上想定される対象や性質のことです。
たとえば、不安、痛みへの警戒、運動回避、あるいは特定の病態仮説などは、直接つかめるものではなく、複数の情報をもとに推定する対象です。
このとき重要になるのが、コンバージング・オペレーションズという考え方です。
これは、ひとつの対象を別々の方法から確かめ、それでもなお同じ結論に近づくかをみる考え方です。
言い換えれば、違う方法で見ても同じことが言えるかを確かめるということです。
ただし、この考え方が成り立つのは、それぞれの方法が本当に別々の角度から同じ対象を捉えている場合に限られます。
もし実際には、画像、触診、動作分析が、同じ痛みの出力や同じ警戒反応を別の形でみているだけなら、それは真の収束ではありません。
見かけ上は複数の方法が一致していても、独立した別の証拠が集まったことにはならないからです。
したがって、一致していること自体を、そのまま妥当性の証拠とはみなせません。
ベースレート無視が診断をもっともらしくする
もう一つ重要なのが、ベースレート無視です。
ベースレートとは、ある病態や出来事が、そもそもどれくらいの頻度で起こるのかという基本的な割合のことです。
臨床でいえば、その病態が一般にどれくらい多いのか、その場面でどれくらい起こりやすいのかという、見立ての出発点になる情報です。
ベースレート無視とは、この基本的な起こりやすさを十分に考えず、目の前の所見や評価結果だけで判断を強めてしまう誤りです。
ベイズ推論では、ある病態がそもそもどれくらい起こりやすいのかという事前確率が出発点になります。
しかし実際の臨床では、画像、圧痛、誘発動作などがいくつか揃うと、その病態がもともとどれくらいありそうかという視点を飛ばして判断してしまうことがあります。
その結果、稀な病態や組織特異的な診断が、実際以上にもっともらしく見えてきます。
つまり、所見が揃っていることと、その病態が本当に起こっていることは同じではありません。
まずはその病態がどれくらいありうるのかを考え、そのうえで所見によって見立てを修正していく必要があります。
構成概念の妥当性が弱いと説明だけが整っていく
この点をさらに詰めると、構成概念の妥当性の問題に行き着きます。
触診でわかる圧痛、動作分析でみえる代償動作、画像でみえる変性所見は、それぞれ臨床家にとって手応えのある評価です。
しかし、その手応えがあるからといって、その検査が狙った構成概念を適切に測定できているとは限りません。
たとえば、圧痛がある、特定の動作で痛い、画像に変化がある、という三つの情報が集まると、ある組織の関与が強く見えてきます。
けれども、その三つが本当にその組織の状態を特異的に反映しているかどうかは別の問いです。
そこが示されていなければ、診断に一貫性があっても、妥当性があるとは言えません。
徒手療法でみている反応は複合的な出力である
徒手療法の臨床で特に注意が必要なのは、私たちがみている反応の多くが複合的な出力だという点です。
圧痛、伸張時痛、動作のぎこちなさ、筋緊張、回避的な動きは、単一の局所組織をそのまま映しているわけではありません。
そこには末梢神経の状態と入力、侵害受容信号、中枢性感作、予測、不安、注意、過去の経験、文脈などが重なっています。
つまり、触診や動作分析でみえているのは、組織単位の純粋な信号ではなく、神経系が統合した現在の出力です。
この前提を外すと、別々の評価を集めたつもりでも、実際には同じ複合出力を繰り返し読んでいるだけになります。
結論
画像所見、触診、動作分析は、臨床で不要な評価ではありません。
ただし、それらを組み合わせたからといって、単一の病変や単一の痛みの発生源が特定できたと考えるのは飛躍です。
重要なのは、評価の数で診断を強めることではなく、それぞれの情報が何を示し、何を示していないのかを区別することです。
見かけ上の一致があっても、それが同じ反応を別の角度からみているだけなら、独立した証拠が増えたことにはなりません。
したがって、画像所見、触診、動作分析は確定の根拠というより、仮説を更新する材料として位置づけるほうが妥当です。
プロ向きの臨床推論で求められるのは、評価が揃ったことに安心することではなく、反証可能性を保ちながら見立てを更新し続けることです。
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