徒手療法における臨床推論ともっともらしい説明は何が違うのか
徒手療法の臨床では、症状の変化に対して何らかの説明が与えられます。
骨盤が歪んでいる、関節がずれている、筋膜が癒着している、神経がどこかで挟まっている、といった説明は分かりやすく、患者様にも伝えやすいため、臨床現場では受け入れられやすい特徴があります。
しかし、分かりやすい説明が、そのまま妥当な説明であるとは限りません。
ここで区別すべきなのが、徒手療法における臨床推論と、もっともらしい説明(plausible story)です。
もっともらしい説明とは何か
もっともらしい説明とは、聞けば納得しやすい一方で、科学的には十分検証されていない説明を指します。
カタカナでいえばプラウジブル・ストーリーですが、本稿では「もっともらしい説明」として使用します。
もっともらしい説明は、症状を一つの物語として整理しやすく、介入の意味づけもしやすいため、臨床では非常に魅力的に見えます。
ただし、その説明が本当に起きている現象を表しているかどうかは別問題です。
結果が出たことと、その理由として語られた説明は、分けて考える必要があります。
臨床推論とは何か
一方、臨床推論とは、観察された情報をもとに仮説を立て、介入し、その反応を再評価しながら仮説を修正していく思考の枠組みです。
重要なのは、最初の説明を正解として固定することではなく、観察、仮説、介入、再評価という循環のなかで、説明を更新し続けることです。
つまり臨床推論では、説明は証明済みの真実ではなく、現時点で最も整合性の高い仮説として扱われます。
この姿勢があるため、臨床推論は「説明を作ること」ではなく、「説明を吟味し続けること」が大切です。
徒手療法ではなぜもっともらしい説明が生まれやすいのか
徒手療法では、介入の前後で痛みが減る、可動域が広がる、身体が軽く感じる、動きやすくなるといった変化が生じることがあります。
このとき臨床家は、その変化に意味づけを与えたくなり、そこに構造的な物語を当てはめると、非常に完成度の高い説明ができたように感じます。
しかし現在の神経科学やペインサイエンスの視点では、徒手療法の変化を単一の構造的メカニズムだけで説明することは難しいと考えられています。
局所の組織だけでなく、末梢神経の状態と入力、脊髄での情報処理、脳での評価、期待や予測、下行性疼痛抑制系など、多層的な反応として考える方が現代の考えた方です。
臨床推論ともっともらしい説明の決定的な違い
両者の決定的な違いは、説明を固定するか、更新するかにあります。
もっともらしい説明は、観察された変化に魅力的な物語を与える一方で、その説明自体の検証可能性が低いことがあります。
そのため、説明があることで安心してしまい、別の仮説を考えなくなったり、再評価による修正が起こりにくくなったりします。
一方で臨床推論は、この説明以外でも同じ現象を説明できないか、この仮説は再評価によって支持されるのか、という問いを持ち続けます。
つまり、もっともらしい説明は思考を止めやすく、臨床推論は思考を更新し続ける、という違いがあります。
プロが徒手療法の理論をみるときに問うべきこと
プロ向けに重要なのは、説明の分かりやすさではなく、その理論が何によって支えられているかをみることです。
まず、生理学や解剖学、神経科学、ペインサイエンスの知見と矛盾していないかを確認し、次に痛みの分布、感覚の変化、動作時の症状変化、反応の個別性を無理なく説明できるかを考える必要があります。
さらに、その説明が反証可能か、別の仮説と比較できるか、再評価によって修正できるかも重要です。
言い換えると、理論をみるときに問うべきなのは、この説明は本当に観察事実をうまく説明しているのか、この説明以外でも同じ現象を説明できないか、という点です。
結論|徒手療法では説明の魅力より推論の更新可能性が重要
徒手療法の臨床では、もっともらしい説明が非常に魅力的に見えます。
しかし、その問題は科学的に不十分かもしれないというだけではありません。
もっともらしい説明を事実のように扱うと、患者様には不正確な身体への理解や過剰な不安、不必要な回避行動を生みやすく、健康へのリスクにつながる可能性があります。
一方でセラピスト側にも、自分の理論や説明への妄信を強め、別の仮説を検討しなくなるというデメリットがあります。
その結果、再評価や修正が止まり、臨床推論そのものが硬直します。
重要なのは、結果が出たことと、その結果をどう解釈するかを分けて考えることです。
徒手療法における臨床推論は、もっともらしい説明を否定するためのものではなく、それを仮説として相対化し、患者様とセラピストの双方にとって、より安全で合理的な理解へと進めていくものです。
関連コラム|クリティカルシンキングの理解を深める

