「〇〇ということが分かっています」という表現の危うさ|科学的発信におけるエビデンスと立場
医療・施術・健康分野の情報発信では、「〇〇ということが分かっています」という表現が、科学的で信頼性の高い言い回しとして使われることがあります。
しかしこの表現は、条件つきの知見や暫定的な仮説まで、あたかも確定した事実であるかのような印象を与えやすい点に注意が必要です。
科学的発信で重要なのは、強く断定することではありません。
どのような根拠に基づくのか、その根拠にどの程度の限界があるのかを分けて示すことです。
より科学的な表現とは何か
より科学的な表現は、情報の内容だけでなく、根拠の種類と確実性の程度もあわせて示します。
たとえば、「〇〇という研究報告があります」「〇〇を示唆する論文があります」「私の臨床経験上、この条件では〇〇となることが多いです」といった表現は、研究知見と経験則を混同しません。
この違いは小さく見えて重要です。
誰が、どの方法で、どの条件下で、どの程度まで分かっているのかが見える表現の方が、受け手に解釈の余地を残せます。
一方で、「〇〇ということが分かっています」という表現は、それらの前提を省略しやすく、不確実性を見えにくくします。
エビデンスレベルという視点
「エビデンスがある」「エビデンスがない」という二分法だけでは、科学的な整理としては不十分です。
重要なのは、どのレベルの根拠なのかという視点です。
症例報告、観察研究、ランダム化比較試験、システマティックレビューは、いずれもエビデンスですが、同じ重みで扱えるわけではありません。
そのため、根拠があるから直ちに正しいとは言えませんし、強い根拠がまだ十分でないからといって、ただちに無価値とも言えません。
必要なのは、研究デザイン、対象、再現性、限界を含めて読む姿勢です。
エビデンスベースとサイエンスベースの違い
ここで区別しておきたいのが、エビデンスベースとサイエンスベースです。
エビデンスベースは、既存研究で何が観察されたかを重視する立場です。
一方でサイエンスベースは、解剖学、生理学、神経科学などの基礎知識と整合しているか、なぜそう考えられるのかという説明の妥当性を重視します。
両者は対立概念ではありません。
観察された結果と理論的整合性の両方を見ていくことで、臨床的な説明はより安定します。
研究だけを見ても不十分であり、理論だけを見ても不十分です。
この二つを往復しながら考える視点が必要です。
仮説は常に再検討の対象である
科学において重要なのは、断定の強さではなく、反証されうる形で考えることです。
根拠がある仮説でも、後の研究で修正されることがあります。
理論的にもっともらしく見える説明でも、実測データと整合しないことがあります。
この前提を忘れると、科学的な語りはいつのまにか信念の表明へと変わります。
だからこそ、知見は固定的な真理ではなく、現時点で最も妥当な仮説として扱う必要があります。
科学的態度とクリティカルシンキング
科学的であるとは、断定を避けることだけではありません。
出典を示し、限界を含めて語り、別の解釈の可能性を残すことでもあります。
そのうえで必要になるのが、クリティカルシンキングです。
その研究はどのような条件で行われたのか、サンプルサイズは十分か、利益相反はないか、解釈が飛躍していないかを検討し、情報をそのまま受け取らずに妥当性を吟味する姿勢が求められます。
臨床では、結果が出たことと、その説明が正しいことが混同されやすくなります。
だからこそ、観察された変化と、それに与えた意味づけを分けて考える視点が重要です。
DNMJAPANの情報発信方針について
DNMJAPANでは、科学的態度とクリティカルシンキングに基づく情報発信を重視しています。
そのため、「〇〇ということが分かっています」といった断定的な表現はできるだけ避け、知見の不確実性を含めて説明することを基本方針としています。
また、論文や研究に基づく説明と、個人的あるいは臨床的経験則に基づく説明は、同じものとして扱いません。
さらに、「正しい/正しくない」という二分法ではなく、「妥当性が高い/低い」という視点で考えることを重視しています。
私たちは、根拠が乏しいから直ちに否定する立場も、論文があるから直ちに断定する立場も取りません。
あらゆる知見は仮説として扱い、批判的に吟味し、検証と再検討を続ける対象であると考えています。
その態度こそが、臨床と科学を現実的につなぐために必要だとDNMJAPANは考えています。
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